かそけしや 雨降り止まず
著莪の花
この句は奈良県の長谷寺退山に降して私が詠んだ句である。
拙い句であるかも知れないが、自分なりにマアマアの俳句だと思っている。
実は私は雨男でして何か大事なことの有る日には必らず雨が降るという因果な人間である。
平成16年6月14日のこの日は、丸4ヶ年の長谷寺の勤務が無事終了して故郷の雨引山楽法寺に帰山する日なんだから、過古の経験からして降らない筈はない。パーセンテージで云えば99%は間違いないだろう。まして五月雨の時期なんだから。
と、決めてかかって、退山式の挨拶にこの句を詠じて、宗派内外のお客さま方の喝采を頂けるんじゃないかと思うと嬉しくて、これ以外の句なんか考えたくないと思って13日の夜は寝て了った。
明くれば6月14日、朝早くからブチ起されて観音堂で退山の報告法要やら諸堂参拝やらで、退山式典のことなどスッカリ度忘れして本番に臨んだから、サァ挨拶の枕言葉の俳句が浮かんで来ない。
もう仕方がないから、いくら晴天でもこの句を使う外ないと決めて、この雨降り止まずの句を使って退山の辞を述べ了った。
ところがこの句が「有卦」た。
参会者が私の手を握って「雨引山へお帰りになるんですから雨降り止まずでなくちゃいけませんよ。」と言って呉れたのには感激した。
「雨が降ってなくても雨降り止まずでなくては雨引山楽法寺の主たるものいけないんだ。」と妙なところで自信をつけた次第である。
実は雨引山の山号は嵯峨天皇さまより下賜されたということに成っているが、近くは元禄5年松尾芭蕉翁が当山に詣られて
雨引の 名もことわりの
時雨かな
と詠じられているのでありまして、当山貫主の職を帯すれば、大事なときには必らず雨が降るといわれておって、私自身は因果なことだと思っているのでありますが。
扨て、私も長谷寺を退山して早や2ヶ年を経過しましたのでこれからは「雨の想ひ出」から抜け出し度いと思ひ、「著莪の花」の句を考えてはみたが、所詮この花にはどうしてもしとしとと降り止まぬ雨が似合うようで推敲の結果こんな句になって了いました。
想ひ出は
雨の中なる 著莪の花
寒桜子
寒桜子は、私の俳号であります
実は寒中に咲く寒桜の淡白さが好きで、この俳号を使っています。