9月6日は秋篠宮家に親王さまが誕生されました。まことにお目出度いことであります。
さて現在の皇室には、三笠宮家、常陸宮家、秋篠宮家の三宮家がありますが、三笠宮、秋篠宮の両宮家の名は、奈良県内の地名からとっています。
三笠は三笠山という山が奈良市にあり、阿倊仲麻呂の
”あまの原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でしつきかも”
の和歌で有名であり、秋篠宮の名は奈良県の秋篠寺の名前に由来していると承りました。
それでは、常陸宮はどこから宮家の名をとったかというに、常陸国(茨城県)からその名を採りました。
常陸国(茨城県)は、古来天皇家とは因縁の深い土地なのです。
実は雨引山の西の方の小高い丘陵地帯に「キサキ」と呼ぶ地名の場所があります。
鎌倉時代までは”后”と書いていたようです。天皇さまの「おきさき」の意味です。
私の先々代の南聖衡和尚に、このことを質したところ「大昔の光明皇后さまの御安産祈祷の行事と、関係があるのではないか。おそらく、雨引山上から(キサキの丘)の方向むいて護摩を焚かれたのだと思う」と仰言られました。
幼稚な私も、この和尚のお言葉を伺って、聖地雨引山の安産祈祷の歴史の古さを、しみじみと感じた次第であります。
その昔、奈良朝時代の常陸国は、天皇家の地轄の領地で、この国の国主(知事の職の人)は親王(天皇のお子さま)が就任する慣例であり関東地方では極めて大事な地域でありました。
今日でも、お産は容易ならざる女性の大役でありまして、懐胎すれば身を慎み、当山に祈祷する慣例でありますが、光明皇后さまの時は、おそらく観音様の宝前で、祈願の護摩をしただけではなく、当山より真西の丘を「キサキの岡」と観念して、生身の皇后さまを拝する心で、祈祷したのだと思うのであります。
「ひたちの国」の雨引山は「ひのたつところ」であり、縁起のよいところであり(当山でなければ、安産祈願は成就しない)と、光明皇后さまは、お感じになられたのだと思います。
又、西の方は、真言宗では観音さまのお浄土と観念いたします。(観音さまは、阿弥陀さまと、同じ蓮華部のほとけさまだからです。)